鯨の授業・恐竜の日記 たくき よしみつ
鯨の授業・恐竜の日記 たくき よしみつ
例えば、「クジラは現存する最大の哺乳動物である」という知識を、僕らは「常識」として誰でも持っている。しかし、彼らの中には「文化」として歌を歌う仲間がいること、あるいはその歌には一定の作曲ルールやその年の「流行」というものがあるということまで知っている人は意外と少ない。
それだけじゃない。実は、彼らは歌を歌うばかりか、僕ら人間が感知できない一種のテレパシー能力を持っていて、子孫に様々な精神文化を伝えているということをご存じだろうか?
え? 知らない? …まあ、仕方ない。それが僕ら人間の「常識」の限界なのだから。 では、その常識というやつを超えて、彼らの授業風景の一部を覗き見てみよう。
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「今日は中生代文学の授業から始めます。かつてこの地球上に、『龍族』という、私たちと同じように大きな身体の生き物が生活していたことは、すでに『地球史』の授業で学びましたね。今日はその龍族の子供が残した、夏休みの日記を読んでみましょう」
「日記? 先生、彼らも私たちと同じように心の中に様々な記録を留めておけたの?」
「龍族みんなじゃないわ。カスモという非常に精神文化を発達させた龍族がいて、彼らだけが私たちと同じように、心と心で会話をできたの。だから人間のように物を使わなくても、こうして心の一部は他の生命に伝え続けることができたのよ。じゃあ、さっそくその子の日記を読んでみましょう。ハイ、(瞑想)」
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☆七月三十二日・曇り
今日は本当に危なかった。ヒメコと二人、いつもの秘密の草原で、角こすりをして遊んでいたのだけれど、あまりに夢中になりすぎて、テラノの子が一匹近づいてくるのに気づくのが遅れてしまった。
子供だから、足音が小さかったということもある。でも、いちばんの原因は、ヒメコの鼻息がとても香しくて、いっとき我を忘れてしまったことだ。
最初に気がついたのはヒメコだった。テラノの子は、わずか三百ステップの近くにまで来ていた。ぼくらは慌てて近くのジャングルに逃げ込んだ。テラノの子は、まっしぐらに追ってきた。
ジャングルの中の、避難用横穴に滑り込んだときは、テラノの子は、ほんの五、六ステップのところまで迫っていた。
身体の構造上、這いつくばって前進できないテラノは、狭い穴の入口を恨めしそうに見ていたけれど、やがて諦めて帰っていった。 いつも思うのだけれど、ぼくらのような高い精神性をもった生き物が、テラノのような野蛮で単純な生物に対してまったく歯が立たないというのは、どう考えたっておかしい。ステラ先生は、神様がお与えになった試練だって言うけれど、こんな不公平な世の中を作った神様なんて、ぼくは信じない。
もうすぐ二学期が始まる。今年は一体何人の友達と再会できるだろう。去年一年間で、ぼくは七人の友達を失った。もちろん、テラノに食べられてしまったのだ。
カスジ君のときが、いちばん辛かった。
危うく難を逃れたぼくは、丘の中腹にある横穴の入口から、テラノの家族がキャンプを張っている河原を見下ろしていた。テラノの一家は焚火を囲みながら、バーベキューを楽しんでいた。
森の中の罠にかかった友達のカスジ君が、串に突き刺され、焚火の上でジュージューと音を立てていた。
「あっ、しまった。バリオ君、罠だ!」
それがぼくの心が受けた、カスジ君からの最後のテレパシーだった。駆けつけたときはもう、カスジ君は落とし穴の中で串刺しになっていた。
もしも造物主というものがいるとしたら、ぼくは彼を恨む。なぜ、ぼくらにこれほどまでにセンスィティブな心を与えたのか。その一方で、どうしてテラノのような器用な手を与えてくれなかったのか。
繊細な精神と器用な手先……もしも、両方を望むのが贅沢と言うのなら、ぼくらカスモ族は、テラノ以下の鈍感な心の持ち主だったほうが、ずっと幸せだったろう。心と心で話をしたり、頭の中で何万桁もの計算をできたりするぼくらの能力など、なかったほうがよかったのかもしれない。
☆八月一日・曇りのちヒョウ
ぼくらはテラノ以外のあらゆる生き物と心の交流ができる。テラノ以外の肉食獣とも、ある程度はコミュニケーションできる。もちろん、ぼくらが仲間同士でするような、哲学論議や数学の遊びなどはできないけれど、嬉しい、悲しい、辛い、気持ちよいといった、生き物としての基本的な感情は分かり合える。
でも、テラノだけは何を考えているのかよく分からない。心のドアが閉ざされているからだ。
テラノは、この世の中で、唯一「道具」を使える動物だ。ぼくらカスモ一族は、テラノのあの器用な指先をどれほど羨ましく眺め続けてきたことか。あの指先さえあれば、ぼくらはもっともっと文化を発達させ、輝かしい未来を切り開けるだろう。知性においてはぼくらのほうが圧倒的に優れているのだから、今のテラノたちが持っている道具よりもはるかに進歩した道具を発明し、テラノたちの横暴さを封じ込めることもできるに違いない。 夏休みの「理論技術」の宿題は、「テラノから身を守るための道具の発明」だ。今日、ぼくは、自分でも惚れ惚れするくらいの「自信作」を考えついた。
それは堅い筒と玉からできている。筒の内径は玉の直径とほぼ等しく、玉は筒の中、奥深く挿入される。一方、筒の一端は閉ざされていて、その壁と玉が密閉した空気を、何らかの方法で勢いよく膨張させることにより、玉を開いた筒先から前方に飛び出させる。その速度は音よりも速く、さすがのテラノの分厚い皮膚も、一瞬のうちに貫いてしまう…というわけだ。
これがうまくいけば、今まで考えられていた弓矢やシーソー式の投石器よりもずっと威力があると思う。問題は、密閉された空気を勢いよく膨張させる仕掛けだけれど、そのへんはまだ考えつかない。きっと、ぼくらに器用な指先があれば、そんな仕掛けを可能にする方法を、幾通りも発見できるんじゃないだろうか。
でも、きっとステラ先生は、いい顔をしないだろうな。
「バリオ君、そんな野蛮な方法しか思いつかなかったの?」
とかなんとか言うに決まっているんだ。で
でも、結局のところ、理論技術の分野では、そうした解決法しかないんじゃないかって気がする。ステラ先生が考えているのは、きっと集団催眠とか、テレパシーによる精神教化とか、そういう方法なんだろうけれど、それは精神力学の分野に属することで、理論技術の宿題にはならないと思う。
それにしても、理論技術という教科は、いくら勉強しても空しい。「理論」だけで、ぼくらにはそれを実践に移す「手段」がないのだから。
☆八月二日・雷のち霞
明日から学校だ。ぼくの記憶バンクの容量も、そろそろ一杯だ。みんなの前で、夏休み中の日記を、きちんと細部まで再現できるかどうか心配だ。去年は二週間分が精一杯だった。カスジ君は、なんと三週間半もの日記を詳細に精神投影してみせて、みんなの尊敬を集めたけれど、彼はもういない。今年こそカスジ君に勝とうと思っていたのに、もう競争する相手がいないのだ。
それにしても、この世の中に様々な形をした龍がいるのに、ぼくらとテラノだけが、他の連中が持っていない能力を発達させてきたというのは、本当に不思議なことだと思う。歴史の時間で習ったように、三万五千年ほど前までは、ぼくらもテラノも、他の龍たちと同じ低級龍類だったっていうのは本当なのだろうか。ぼくにはどうも、進化論というやつが信用できない。
ぼくらカスモ族は、この星の自転速度や円周率を知っている。でも、簡単に火を起こす技術さえ持っていない。
一方のテラノ族は、凶暴で初歩の数学さえ知らない野蛮な連中だけど、あの器用な指先を武器に、石や金属を使った様々な道具を作り出し、火や水を自由に使いこなせる。
この先、どちらの種族が進化の競争に勝つのだろう。きっと、テラノたちは、ぼくらにとっては小学生でさえ知っている「三角形の最大辺の長さの二乗は、他の二辺の長さの二乗の和に等しい」というようなことでさえ、発見するまでにあと何万年もかかるのだろうな。それまでに、ぼくらの子孫は、ぼくたちの強烈な願望を具現化して、このどうしようもなく鈍感で無細工な前足を、多少は使えるように進化させているのだろうか。あるいはしっぽの先や舌の先が、テラノの指先のように器用に使えるように進化するのだろうか。 それとも、やはり神様はぼくたちには「物質文明」への可能性をとことん閉ざしてしまうつもりなのだろうか。
そうなると、残された道は、ぼくたちカスモ族の宝であるテレパシー能力を今よりも強力に発達させて、精神の力でテラノたちの暴力を押さえつけるような可能性を探ることだろうか。
でも結局は、ぼくらは他の草食龍たちと同じように、これから何百世代にも渡って、テラノたちの食料になり続ける運命なのだろうな。
そして、いちばん悔しいことは、あの鈍感なテラノたちには、ぼくらのこの素晴らしい精神世界の一端にさえ、気づくだけの精神性や洞察力がないってことなんだ。やつらはぼくらがテレパシーによるコミュニケーションをしていることさえ知らないんだから。
ステラ先生はいつも言っている。
「知力を、あんなふうに自己中心的にしか使えない者たちが、長く栄えていられるわけがありません。彼らは、いつかきっと、自分たちの力を過信するあまり、自滅するでしょう」
でも、テラノたちが自滅しようがしまいが、ぼくにはあまり興味はない。それをこの目で見届けることはできないし、それによって長い間傷つけられ続けた仲間たちが、救われるわけでもないものね。
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「どうですか? バリオ君の日記はここでおしまいです。この後、彼は夏休みが終わる前にテラノに食べられてしまったからです」
「人間に食べられてしまう私たちと同じですね。それで先生、カスモ族は結局他の龍族たちと一緒に滅びてしまったんですか?」
「ええ、残念ね。テラノと同じような器用な指先さえ持っていれば、地球史も随分変わっていたんでしょうけど……。でも、物や肉体は必ず滅びるけれど、心は別の宇宙に残すことができるかもしれないでしょう? 私たちも人間が生み出す毒で滅びていくわけだけれど、私たちはせめて心の宇宙に、この世に生を受けた証を精一杯残していきましょうね」
「はい、先生」
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一九一三年、カナダのアルバータ州で、チャールズ・スターンバーグと彼の三人の息子たちは奇妙な恐竜の化石を発掘した。
一般に馴染み深いトリセラトプスの仲間らしいが、トリセラトプス以上の大きさを誇る、実に奇怪な形のえり飾りを持っている。この恐竜は、カスモサウルスと名付けられた。
カスモサウルスのえり飾り状の骨は、どこかアンテナを思わせる。精神を交流させる手段としてのテレパシー・アンテナ……。
一方、地上最強の恐竜として知られるティラノサウルスに関しても、実は相反する推論がいくつも戦わされている。例えばその運動能力。のろのろとしか歩けなかったという説から、自動車並みのスピードで疾走したという説まで様々ある。また、ティラノサウルスの復元骨格模型の前足には小さな二本指が付いているが、これは仲間と思われるアルバートサウルスの化石から推定された結果にすぎない。ティラノサウルスの前足の化石は、未だに見つかっていないのだから。
彼らが、実際にはつぶらな瞳の、毛むくじゃらの可愛らしい温血動物だったとしても、骨しか残らなければ、想像図はどうにでも描けてしまう。
「真実」とは、固定化に成功した情報にすぎない。(ガルガリ・エンセペディンスク)
★初出 「自由時間」(マガジンハウス、1992年 5/7号)
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